それでも結婚しようよ。

d:id:MASASCIANTE:20080827の続き。あー、楽しい。

他者(今回の場合相手の両親)を一切手段視しないような人間関係が構築可能か

との問いには、カントの言葉を出すまでもなく、「無理だ」と答えよう。
なぜ親の承諾が必要なのか?…二人だけでは結婚できない現状にも

親に承認されての(できれば気に入られての)結婚は物心ともに援助が見込めるのでメリットがあり、そうでない結婚は見込めないのでリスキー。結婚したい当事者に多かれ少なかれその認識があるから、親の承諾は必須になるのだ。

とあるように、「多かれ少なかれ」手段視する視線というのは出てくるだろう、神様じゃあるまいし。でもね、別にだから「親の承諾は必須」なわけじゃないでしょ、と。僕にとってそういう考え方は「安っすいなぁ、人間が」ということでしかない。

「彼女と」仲良くするために「ご両親とも」仲良くしたいという、彼女との関係性を良好に保つために両親を「手段」として用いているという一面もあるのでは

との問いがある。確かに、彼女の両親と仲が悪いより良いほうが彼女との関係性も安定するだろう、一般的に考えて。ただ僕の感覚としては、それは「目的」を達成するための「手段」が及ぼす「効果」のひとつに過ぎない。
さらに例え話でなんだけど、僕は彼女の父親とそのうちゴルフの練習に行きたい(=「手段」)と思っている。これには彼女はついてこない、だってゴルフできないから。純粋に僕が彼女がどうこう関係なしに、彼女の父親にゴルフを習いたいのだ(=「目的」)。だけど、そこには球代くらいはおごってくれるかも、という打算もそりゃ混じる(=「効果」のひとつ)。だからといって、球代を浮かしたいから彼女の父親とゴルフの練習をしたいわけではない。つまり、球代を浮かしたいは「目的」と同義ではない。
これは卵が先か鶏が先か、みたいな話で詭弁なのかもしれない。だけど、そういう風に生きているし、生きたいと思ってる。

「都合のいい街金」のような存在に貶めないために、社会がセーフティーネットを敷くべきだ、という話

とあるけど、自分を、そして相手を貶めてるのは誰なのか、という話だ。僕にはなぜ親の承諾が必要なのか?…二人だけでは結婚できない現状を読んでも、お互いがお互いで勝手に貶めてるものを貶めたくないから社会でどうにかして、としか読めないので、身勝手な話だな、という感想にしかならない。
確かに婚姻における親族との関係は、贈与、介護、相続などお金に絡むものが多いので

「手段としてだけ」相手を使うような人間関係が構築されやすい環境がある

ことを僕は否定しない。だからといって、それを第一の「目的」としたくない、というそれだけだ。そういう意味で、「親の承認」と「セーフティネット」は同義たり得ないし、同義だと考えるような人間を僕は「安っすいなぁ」と評価する、というそれだけだ。

ちょっとだけ追記。

子育てなどに関する「セーフティネット」が現状で事足りているとは考えないけど、それは別のフレームで考えるべき問題と捉えている、ということを補足。「セーフティネット」がいらないよ、という主張ととられるのは本意でないので。